たつの昔話「天然痘(疱瘡)の話」その3(完)

また、昔のお医者さんはごつう貧乏やった。

食べていけんゆうて、家出をしたお医者さんがあったんや。ほんまのこっちゃで。

俣野三郎さんもな、醤油を作って大阪へと積み出したりしたけど、失敗してもたんや。

そんなこんなで、新宮の医師二十八名が、謝礼を貰って、なんとか生業が出来ているけど、ほんまに苦しかったんや。

医者は商家と違い下品なことはいいとうないが、ここんところ、薬が十倍から三十倍値上がりして禄のない医者は食べてはいけへん。

薬一服を三匁に値上げしてくれともうしあわせをしたんや。

二集落に一人のお医者さんがおったんやけど、医者だけでは生活が苦しいて食べていけへん。

けど百姓もしんどい生活やさかいに謝礼いうてもたいへんなこっちゃ。

あっちたてればこっちたたずで、ほんまにこまったもんや。

お医者さんは、偉い人がおおかった。

そやから、生活のためにも、村の子供らに寺子屋を作って、学問を教えたんや。

そうやって地域の人のためにもちからをそそいだいうこっちゃ。

 

※昔天然痘で亡くなった人がいっぱいいた。

イギリスでジェンナーが牛痘種痘を発見する。

日本には千八百四十九年に牛痘が輸入される。

播州楫西郡下野田村(現在たつの市新宮町下野田)の医師であった俣野三郎が、千八百六十八年(慶応三年、明治元年の一年前)幕末蘭方医、緒方洪庵が開設した大阪の除痘館より牛痘の分苗を受けている。

 

文/濱田 多代子

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